この地球が「突然できたわけがない」… じつは、 地質学者でもあったダーウィンに 「衝撃を与えた説」と 「目のあたりにした大地震」


2025/5/24

この地球が「突然できたわけがない」… じつは、 地質学者でもあったダーウィンに 「衝撃を与えた説」と 「目のあたりにした大地震」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この地球が

「突然できたわけがない」…

じつは、

地質学者でもあったダーウィンに

「衝撃を与えた説」と

「目のあたりにした大地震」

 
 
 

 


宇宙で唯一の生命を育んだ「海」、

あたりまえのようにそこにある「山」、

そしてミステリアスな「川」……。

 

地球の表情に刻まれた無数の凹凸「地形」。

 

どうしてこのような地形になったのかを追っていくと、

地球の歴史が見えてきます。

 

 

今回は、

山や山脈の成因に直接触れるものではありませんが、

近代地質学の黎明期に起こった

論争について見ていきます。

 

「山がどのようにしてできたか」について、

地質学的な議論が始まる

直前の空気に触れてみましょう。

 

 

 

【書影】山はどうしてできるのか

 

水成論から火成論

 
 

近代的な科学が発達してきた

18世紀頃になってからも、

 

聖書の記述に大きく影響されていました。

 

しかし18世紀も後半になり、

多少なりとも近代的な地質学が発達すると、

 

地球上の岩石のでき方について、

水からできたとする「水成論」と、

火からできたとする「火成論」

という考え方が現れます。

 

 

ドイツのフライベルク鉱山学校は当時、

地質学に関しては世界でもっとも進んだ大学でした。

 

ここで教鞭をとっていたウェルナーは、

地球上の岩石は、

 

堆積岩(たいせきがん)も花崗岩(かこうがん)もすべて、

海の中に沈殿してできた水成岩であるとする

「水成論」という考えを提唱していました。

 

 

この頃は化学の世界で、

いくつかの物質が水溶液から沈殿物(鉱物)の

結晶として取り出せることがわかっていたのです。

 

 

ところがイギリスのジェームス・ハットンが、

水成論に対抗して「火成論」を打ち出しました。

 

 

彼は、水成岩も存在はするけれども、

玄武岩や花崗岩は火成岩であると主張しました。

 

 

地下の深いところには「マグマ」というものがあって、

これが冷えてできる岩石が

火成岩であるという考え方です

(これは現在では実際に確認されていて、

まったく正しい認識でした)。

 

 

 

 

【写真】肖像画。ライエルとハットン
 
アブラハム・ゴットロープ・ウェルナー(左)と、
ジェームズ・ハットン 

 

 

両者は互いに相手の主張を認めず、

「水成論」と「火成論」をめぐる彼らの論争は

長く続きました。

 

しかし、

山の形成に関する議論はまったくありませんでした。

 

18世紀の終わり頃から19世紀にかけて、

イギリスのチャールズ・ライエルは

「斉一説(せいいつせつ」

(Uniformitarianism)を唱えました。

 

 

 

気の遠くなるような

「時間の集積」を説いた斉一説

 
 

この考えは、

最初は「火成論」のハットンによって提唱され、

ライエルがこれを引き継いだのです。

 

 

斉一説とは「現在は過去の鍵である

(The present is the key to the past)」

という考え方です。

 

つまり、

地球上の自然現象は現在も過去も、

同じように起こってきたとする考えです。

 

そう考えると、

地球ができたのはアイルランドのアッシャー司教が

聖書の記述をもとに算出した

紀元前4004年などという最近のことではなく、

もっともっと古い時代であるとしています。

 

 

そして、

「天変地異」という考え方を否定したのです。

 

当時、フランスの古生物学者であったキュビエらは、

 

化石は天変地異によって死滅した

生物の死骸であると考えていて、

 

カタストロフィズム(天変地異説)

という考え方を強く打ち立てていました。

 

 

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これに対し、

ライエルたちの斉一説をもう少し正確にいえば、

 

地殻変動を起こしているような物理学的なプロセスは、

 

現在も過去も同じであり、

過去に起こった大きな地殻変動も天変地異などではなく、

 

現在と同じ物理学的な法則に

支配されていたと考えるのです。

 

 

そして、この斉一説にもとづけば、

山もあるとき天変地異によって突然できたのではなく、

 

気の遠くなるような時間の集積によって

つくられるという考え方に至るのです。

 

 

 

【写真】チャールズ・ライエル
 
斉一説を唱えたチャールズ・ライエル 

 

 

ライエルに影響を受けたダーウィン

 
 

ライエルの考え方は、

「ビーグル号」で航海中の若き

チャールズ・ダーウィンに大きな影響を与えました。

 

 

彼の先生であったヘンズローは

「この考え方は大変おもしろいが

変わっているので注意して読むように」といって、

 

ライエルが書いた『地質学原理』の

第1巻を航海前のダーウィンに渡したといいます。

 

 

そして航海中に南米に着いたときには、

第2巻を受け取っています。

 

ダーウィンは船酔いに苦しみながらも、

それらをむさぼるように読んだのでしょう。

 

 

実はダーウィン自身、

その生涯に地質学に関する本を3冊書いています。

 

 

ダーウィンは生物学者じゃないのか? 

と思われるでしょうが、

 

彼は若い頃には博物学を修めていました。

 

逆に『種の起源』や『人類の起源』が生まれたのは、

彼に地質学あるいは博物学に関する

深い造詣(ぞうけい)があったからで、

 

それがなければこれらの著作、

というより進化論という考え方そのものが

生まれてこなかったと思われます。

 

 

 

 

【写真】C・ダーウィンの肖像画
 
チャールズ・ダーウィン 

 

 

ダーウィンが書いた最初の地質学の本は

『サンゴ礁の構造と分布』でした。

 

2冊目は「火山島の地質学的な観察」の話で、

「ビーグル号」で訪れたガラパゴス島を中心に

ケープ・ベルデ島やアセンション島の

火山の形態や地形、

火山岩の記載をしています。

 

 

最後は「南米の地質」についての本です。

これは現在でも十分に価値のある内容です。

 

 

ダーウィンは地質学に関する知識は

ライエルから学びましたが、

 

南米の地形や自然に関しては、

『コスモス』を執筆した博物学者

フンボルトの影響を受けています。

 

 

 

 

南米の大地震が

ダーウィンに与えた衝撃

 
 
 

彼にとって、

「ビーグル号」で航海中の1835年2月20日、

 

チリのバルディビアで大地震に

遭遇したことは大きな経験でした。

 

イギリスというまったく地震のない国で

生まれ育った彼にとっては、

この地震は未有の衝撃だったと思われます。

 

 

『ビーグル号航海記』には、

チリのコンセプシオンで大津波によって

破壊された船や家を目の当たりにしたことや、

 

南米の山々で海岸が隆起した跡を観察したことなど、

彼の震災体験が鮮明に描かれています。

 

 

彼は当然、

南米の大地の隆起は、

地震によって地面が上昇したためで

あることに気づいていたでしょう

(なおダーウィンが被災した2年後の1837年には

 

バルディビアでまたしても地震が起き、

発生した大津波がなんと三陸海岸にも届いています)。

 

 

【写真】ビーグル号の銅版画
 
 
ダーウィンが乗船した1831〜1836年は、
 
ビーグル号にとって2回目の航海だった。
 
 
チリの海岸で修理を受けるビーグル号 
 
 
 

ダーウィンの話はやや余談ですが、

 

当時、台頭していた「斉一説」が、

地質学においても生物学においても、

 

長い時間軸の上で対象の変化(進化)を

見るという視点を与えたことを

紹介する意味で記しました。

 

 

「水成論」「火成論」「斉一説」は

ごく初期の地質学の原理に関する話で、

 

とくに山や山脈がどうしてできるかに

言及したものではありませんでした。

 

しかし19世紀も終わりに近づいてようやく、

山がどのようにしてできたかについての

地質学的な議論が始まります。

 

 




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