第一章
マズローの欲求の段階から見た
「生きる目的」
三 マズローの研究成果から得たこと
まず、西洋文化の中で育ち、
あらゆる種類の個性を持った年配の人たちで、
健康な成功者を選び、
彼らのことを細かく研究することにした。
晩年のリンカーンとトーマス・ジェファーソン、アインシュタイン、ジェイン・アダムス、ウィリアム・ジェイムズ、バルフ・スピノザ、ウォルト・ホイットマン、ヘンリー・ソロー、ベートーヴェン、エレノア・ルーズベルト、ジグムント・フロイト、アルベルト・シュヴァイツァー、フリッツ・クライスラー、ゲーテ、パブロ・カザルス、ジョン・キーツ、ロバート・ブラウニング、マルティン・ブーバー。
自身が選んだこれらの成功者について
さまざまな角度から分析していった。
その結果からマズローは「自己実現」する人の
性格の特徴を次の八項目に分類した。
1. 自分にとらわれないで、物事に熱中することができる。
2. 不安や恐怖があっても、自己防衛に陥らない。
3. 表面を装わない。自己のありのままを忠実に受け入れる。裸のままの自分を見つめて自分らしく生きていく。
4. 自分に責任をとる。
5. 自分の内なる声に耳を傾けて、他人とは違っている自分に正直になるだけの勇気を持つ。
6. 知性を用いて、自分がしたいと思うことを、よりよく成し遂げるように努力する人。智慧を使う。
7. 買い求めたり、他人からもらったり、探し求めたりしても得ることができない、真、善、美──美術館で美術を観るとか、きれいだと感じること──を求める。
8. 自分は何者であり、誰であるかを発見する。そして自分はどこへ行き、自分の使命は何であるかということを見出すアイデンティティーを有している。
ゆとりや自由時間を創造的に生きる。
これら八項目が自己実現する人の
性格における特徴であるとマズローは言うが、
これなら特別な人でなくても
我々庶民にもできることばかりである。
とはいえ、現実には、
こうした成功者もいれば、
人生を思うように歩めない人もいる。
両者の違いはどこからくるのか、
私はその点に興味があった。
一見、容易なように思える八項目ではあるが、
実践となると強烈な自己実現への意志を
持っていなければならない。
それは、
若い内から意識しておかないと、
急にやろうと思ってもできるものではない。
また、
一人でできる人もいるかもしれないが、
私は、
よく導いてくれる人が必要だと考えている。
その一つの実践例を次に示しておこう。
四 社員研修での生きがい探し
私は社員七百人ほどの物品販売業を営む
企業の社長や会長を三十年続けてきた。
そして自社の新入社員教育において、
自己実現とはどういうものかを実感してもらうために、
私の担当時間にオリジナルな教育をしてきた。
この教育の主眼は新入社員にとっては
ともすれば一方的な押しつけ教育となる面を軽減し、
自分たちで発表する機会も設けることで
緊張感と自発性を持たせることにある。
新入社員からの評判も、
よく理解できたと好評だった。
もちろん、
会社の総務や人事、営業や経理といった
組織の担当者はそれぞれの部門に
応じて専門的教育をしている。
私の教育内容は、
これからの社員生活の中でいかに
自己実現をしていくか、
自分の業務を通じていかに社会貢献をするのか、
そしてその結果として、
自分の生活の安定を図ることができるように
するとともに、
生きがいのある社員生活を送るには
どうすればいいのかという、
社会人として基本的なことを
体感してもらうものだった。
こうしたことは講師がいくら口を
酸っぱくして語ったとしても、
社会人としての経験が皆無な
新入社員には全く届かない。
私は自分たちに考えさせて
自分たちで結論を出させるという方法を採用した。
会社が押しつけた結論ではなく、
これからの社会人としての
生き方はどうあるべきかを、
自分たちで考えて出した結論だからこそ、
誰しもが納得して実行に移せると考えたからである。
具体的な方法はKJ法というデータを
まとめるために有効とされている
方法を使っている。
KJ法は、
文化人類学者の川喜田二郎氏が開発した、
データを整理する方法である。
川喜田氏がネパールやヒマラヤの山中で
人類の骨を収集していく中で
膨大な情報をいかにまとめるか、
その方法を模索する中で考案したもので、
これによって人類の進化の過程を
解明するための基礎情報を
整理できたという方法である。
私が社員教育で行っている
実際の方法を説明すると、
最初にディスカッションのテーマを私が決める。
テーマは毎年同じで、
「生きがいとは」に決めている。
テーマを発表すると毎年決まったように
会場から「えー」という声が聞こえてくる。
抽象的で、
これまで考えたこともないようなテーマだからこそ
最初の反応は戸惑いの声になる。
大切なことは、
具体的で卑近なテーマでは底の浅いものに
なってしまうということである。

