祖先から受け継がれる
「古代ウイルスのDNA」とは?
私たちヒトが持っているすべての遺伝情報は
「ヒトゲノム」と呼ばれ、
その中には約2万個の遺伝子が含まれています。
その一方で、
遺伝子の機能が完全に解明されているものは
ヒトゲノムのうちでも一部にしかすぎません。
ただ今日までの研究で、
ヒトゲノムに含まれる約5〜8%が
太古の昔に祖先に感染したウイルスが残した
DNA断片であることがわかっています。
これらを専門的に
「内在性レトロウイルス(ERV)」と呼びます。
レトロウイルスとは、
RNAを遺伝情報として持つウイルスのことです。
彼らは特殊な酵素を介し、
RNAを鋳型(いがた)として
DNAを作り出す能力を持っています。
そしてこのDNAを感染した宿主のゲノムに
組み込むことができる恐ろしいヤツらなのです。
その上で、宿主の生殖細胞(精子や卵)に
レトロウイルスDNAが組み込まれると、
その遺伝情報は世代を超えて子孫に受け継がれ、
種全体のゲノムの中に固定されることになります。
こうして、
私たち人間の遥か祖先に当たるサルに感染した
レトロウイルスのDNAは、
現在の私たちの中にも受け継がれているのです。
しかし、
私たちの中に眠る内在性レトロウイルスにはもはや、
有害な働きをするウイルスを作り出したり、
健康に害を与えるような現役の能力は
存在しないと考えられてきました。
要するに、
何の機能も果たさないか、
機能が特定されていない遺伝子を指す
「ジャンクDNA」と捉えられていたのです。
ところが新たな研究は、
従来の説とはまったく違う、
闇の力が内在性レトロウイルスに
隠されていたことを明らかにしました。
古代ウイルスの「闇の力」は健在だった
研究チームは今回、
内在性レトロウイルスに有害な機能があるかどうかを
チームは公開されている大量のデータセットから
21種類のヒトがん細胞のゲノムデータを解析。
それと並行して、
約3000万年前に祖先の霊長類に感染したことが
知られている内在性レトロウイルスの
系統「LTR10」のゲノムも調査。
その結果、
LTR10は肺がんや大腸がんを含む
複数種のヒトがん細胞で驚くほど高い活性を
示していることが判明したのです。
さらに大腸がんの患者数十名の腫瘍サンプルを
調べたところ、
患者の約3分の1でLTR10が活性化していた
ことが確認されています。
内在性レトロウイルスが
がん細胞とは一般に、
本来ならば活性化されるべきでない
多くの遺伝子スイッチがオンになり、
発現している状態を指します。
これらの遺伝子がなぜ活性化されるのかは、
よくわかっていませんでした。
しかし今回の研究から、
私たちの体内で眠る内在性レトロウイルスこそが、
そのスイッチを押している元凶の一つ
だったと考えられるのです。
これは古代ウイルスの闇の力が
消えていないことを示す恐ろしい結果ではありますが、
一方でチームは
「がん治療の大きな希望にもなる」と話します。
というのも遺伝子編集ツールを使った実験で、
LTR10の遺伝子配列を切り取って機能を阻害させたところ、
がん細胞の成長と増殖を促すことで
知られる有害な遺伝子が
「沈黙」することが確かめられたからです。
つまり、
内在性レトロウイルスの働きを阻害すると、
がん細胞を発生させる遺伝子の
スイッチをオフにできるということです。
チームはこれをマウス実験で実証しました。
がん細胞を持つマウスを用いて、
LTR10を遺伝子編集で取り除いた結果、
「XRCC4」と呼ばれる主要ながん促進遺伝子がオフになり、
がん腫瘍を縮小させる治療の効果が増大したのです。
本研究の成果は、
古代ウイルスが現代人の発がんプロセスに
どのように関与しているかを理解する一助となります。
もちろん、
がんの発症には様々な要因があり、
内在性レトロウイルスがそのすべてに
関わっているわけではありませんが、
その一因として重大な働きを
していることは間違いありません。
チームは今後、
体内で眠っていたはずの内在性レトロウイルスが
何をきっかけに目覚めるのか、
そしていかにして発がんを促進する
遺伝子のスイッチをオンにするのかなどを
明らかにしていく予定です。
その結果次第では、
今までにない効果的ながん治療が
開発できるかもしれません。