2017年の発売以降、

今でも多くの人に読まれ続けている

『ありがとうの魔法』

 

 

 

ありがとうの魔法
 
 
 
 

「つらい」と思うから「つらい」のであって、

「つらいという現象」が

存在するわけではない

 
 

ある力士が、

14勝1敗で優勝決定戦に臨みました。

 

その日の夜に講演会があったのですが、

2次会で、

ある人がマイクを持ってこう言いました。

 

 

「正観さんは、

『努力や頑張りはいらない』と言いますが、

この力士は、

3年か4年前に大関から陥落して、

ものすごい苦労の結果、

今場所は14勝1敗までこぎつけました。

 

そして、また次の場所は大関に

挑戦できるかもしれません。

 


その苦労話をNHKのアナウンサーが、

しゃべっているのを聞いて、

私は思わず泣いてしまいました。

 

努力や頑張りというのは、

すごくよいことだと思ったからです。

 

そういうものが、

世の中には、

あるのではないでしょうか?」

 

それを聞いて、

私はこう言いました。

 

 

「そういう苦労話に感動するあなたの心を

否定はしません。

 

そうやって、

あなたが感動して泣くというのも、

否定はしません。

 

でも、『宇宙には、こんなに悲しい話が

あるじゃないですか』ということになると、

それは違うと言わざるを得ません。

 

不幸や悲劇という現象は存在しなくて、

「そう思う心があるだけ」なのです。

 


仮にこの力士が、

『つらかった』『大変だった』と

言い続けたのであれば、

この力士のとらえ方がおかしいと思います。

 

力士、本人が言っていないのに、

アナウンサーが勝手に感情移入して、

『ものすごく大変なことを克服して、

すごかったですね』と言っているのであれば、

そのアナウンサーのとらえ方がおかしい。

 

力士は、それが、

本当につらいのだったら、

やめればいいわけですから」

 

「私の会社は大変な会社です」

「事務所がこうなんです」

「社長がこうなんです」

「ひどい人ばかりなんです」と

言われる方がいますが、

私に言わせれば、

「本当に嫌で、つらいのなら、

やめればよいじゃないですか?」

ということです。

 

 

やめる選択肢があるのに

本人がやめないで、

このようなことを言うのは、

愚痴を言っているだけです。

 

もし本当に嫌なのだったら、

「やめる」という選択もできる

はずではないでしょうか?

 

 

この力士は、

やめたければ、やめることができたはずです。

 

けれどやめなかったということは、

結局、「好き」でやっていたのだと思います。

 

 

「一度は大関から陥落したのに、

克服できてよかったですね」

「つらい時期を乗り越え、

14勝1敗という成績を残せたのは

立派ですね」と、

個人の感情として喜んで

あげるのはよいと思います。

 

 

その力士が喜んでもかまわないし、

NHKのアナウンサーが喜んでもかまいませんが、

「宇宙的な事実」としては、

「悲しくつらいことを乗り越えた」

という事実はないようです。

 

 

本人が、「つらい」「悲しい」と思ったら、

それは本人にとって

「つらい」「悲しい」ことであって、

「つらい現象」「悲しい現象」が

存在するわけではありません。

 

 

ある現象が起きていることと、

それに対して自分がどう論評・

評価をして感情を移入するかは、

別問題だと思います。

 

それを、ひと言で言うと、

「感情は別」ということです。

 

 

現象と、感情は別。結局、

ありとあらゆる現象はすべて

「ニュートラル(中立)」で、

宇宙的な意味づけ、

性格づけがされているのではないようです。