第一部
二 神を知る
彼の出立ちは、
仕事帰りのノーネクタイ、ジャケットを
無造作に持ち、ワイシャツから覗く首元が、
妙に色っぽく感じる。
汗を拭い、
それを気にしている様にも見えた。
またふっとした瞬間目が合うとお互いに照れて、
目線が定まらず、
不自然に体が向かい合っていない。
照史はもっと早く連絡したかったが、
なかなか予約が取れず
遅くなってしまったと詫びた。
人気店で、
予約も大変だったであろう。
伯父や取引先の人と会食した店で、
黒毛和牛を一頭買いし、
それを看板にしているそうだ。
私が美味しいものが好きか尋ねると、
食に興味があって、
今の会社に入社を決めたと、
教えてくれた。
私も食べる事が好きで、
食いしん坊なところも似ている。
少しの共通点が見つかる度に喜びがあった。
完全個室でそれもまた特別な感じがする。
またコース料理を予約しその方が食べやすいと、
初めての食事に色々と気をつかってくれた。
席に案内された頃には、
お互い自然と緊張もほぐれてきている。
二名にちょうど良い広さの、
和モダンな空間で足元は
掘りゴタツになっている。
少し暗めの照明がいい塩梅だ。
私は何を話そうか、
あらかじめ準備をしていた事を思い出しながら、
まずは初盆に来てくれたお礼を伝え、
それには伯母も感謝していたことを伝えた。
また両親の話を聞きたいと思っており、
誠実な人柄からさぞかし立派な
親であろうと勝手に思っていた。
すると意外な答えで、
施設育ちで親の顔を知らないと言った。
照史は親なしを恥じてないし、
内緒でもない。
周りの人達は知っている事だからと、
微笑んで明るく言う姿に私は安堵した。
そしてもう一つ絶対に聞きたい事があった。
以前、伯父は死んでいないと、
呟いた気がしてその真意を知りたかった。
照史はそんな気がすると
言いたかっただけと話した。
とはいうものの、
すぐさま目を逸らしたので
「まだ濁している……」と思った。
それで私は躊躇しながらも、
自身の不思議体験を話してみた。
小さい頃から霊とか観えない存在がわかる、
神秘体験が多い体質だと伝えた。
すると彼は顔をあげ、
まじろぎもせず私を直視している。
私は恥ずかしくて思わず瞳を逸らした。
そういうわけで、
それを悩んでいた時期もあった。
もし同じ境遇ならそれらを聞いてみたいと伝えた。
照史の口元が緩みはっきりと
観えるわけではないけど、
伯父の気配はいつも感じている。
だから霊が観える事も
不思議でないと持論を展開した。
ローストビーフや、
肉寿司など五品が贅沢に盛られた
前菜が提供された。
このためコース料理に期待が持て
「綺麗。こんな前菜初めて」。
私は心の中でワクワクしていたが、
それを表に出すと子供みたいで恥ずかしいから、
すました顔を浮かべ余裕があるように見せた。
照史はすごく洗練されて
芸術作品のようだと感動している。
それはそうと私の顔を真っ直ぐ見つめ直し、
僕は信じると話した。
人は霊魂として存在している、
たとえ肉体が無くなっても。
魂は永遠に自分達と共にそこにあると話した。
私は映像が脳裏に見えて、
そこに映し出された未来を、
知る時もあると伝えた。
しかしこんな話ファンタジーだと卑屈に言った。
照史の表情は本気で、形ないもの、
抽象的な事が本質で魂も同じだよ。
きっとそれが一番大切と話した。
私は驚いた。そんな馬鹿な、
と異議を唱えない。
これまで彼のように受け入れてくれる人と、
出会った事がなかった。
私はみるみるうちに照史の話に引き込まれた。
彼のいう本質とは何か、
人の思いや愛する気持ちなど、
抽象的な目に見えない物。
確かに愛や情報、魂は観えないし触れない。
太古から人と神や魂は近い存在だった。
近代文化が進歩してからは、
抽象的な事柄を日常の本質として
意識しないことが当たり前になってしまった。
僕は霊魂や神様を本気で信じていると言い、
神様は割と身近で、
祖母と教会へ行っていたと話してくれた。
次は季節のサラダと牛タンが運ばれ、
彼が慣れた手つきで網の上に乗せると、
途端にいい香りが漂う。
祖母は敬虔なクリスチャンで、
いつもお祈りをしていたし神様の話を
してくれたと懐かしそうに話した。
祖母はキリスト教徒だったが、
日本には神様や仏様など大いなる
存在が沢山いる。
それぞれが受け入れ認め合う。
なんであっても、
観えないからそれはまやかしだろうと、
決めてしまうのには反対だと言った。
スピリチュアルな考えを
物怖じせず言えることを尊敬し、
それは自分のあるべき理想の姿だった。
私は特別に一つを信仰したりしないが、
神を信じる事はネガティブじゃないと
持論を言うと照史が
「神頼みなんて無意味な行いと思う?」
首を傾けながら穏やかに聞いた。