水に流す
「水に流す」と言う言葉があります。
生きていると、 いろいろなことがあります。
良いことばかりならいいですが、 そうはいきません。
不本意な事、 思いどうりにならない事。
理不尽なことなどいろいろあります。
しかし、 それらは個人の力ではどうすることも できなかった事です。
一見、 自分の力不足にも見えますが、 果たしてそれだけでしょうか?
その失敗には様々な要因があり、 また自分の力不足にしても、
その時はそれで精一杯だったわけです。
そう考えると、 そういった事柄は水に流すしか ありません。
それが出来ずに 「あの時はああだった、 ああすればよかった」
と嘆いても時は戻らないのです。
ちなみに私の分析では、 遺恨を残し過去にこだわれば こだわるほど、
それは悪しき感情になり 良い結果にならないようです。
その事はもう諦め、 次の事で頑張るようにするのが 最善の道なのです。
良い水を飲めば心も良くなる
飲むもので人の性格も変わると言います。
例えば、コーヒーが好きな人は、 どこか思慮深くおしゃれな感じがします。
ワインが好きな人は向上心が高く ハイセンスな感じがします。
お茶にはお茶のイメージが、 お酒にはお酒のイメージがあるわけです。
ただ肝心なのは全ての飲み物の 中心には水があるということです。
水は基本であり中心です。
コーヒーにしろワインにしろ、 全ての飲み物に水分が入っています。
それをベースに成立しています。
良い水を飲めば心も良くなり、 悪い水を飲めば心も悪くなっていく・・・
それは確かにそうかもしれません。
川の流れ
人生は川の流れに例えられます。
上流から下流に向かってエネルギーは 流れています。
私たちはこの流れの中にいます。
自分で舵を切れるようオールは もっていますが、
それは目の前の岩や他者との ぶつかりを回避する為のものであり、
流れそのものを変える力はありません。
この神様が決めた流れに逆らうのは、 無理やり上流に上がっていくような ものであり、
大変な苦労を要します。
そういった事はしなくても流れは 自然に下流へ流れ、
やがては海にでて蒸発し雲となり、 雨になってまた上流へと戻るのです。
水は心も浄化する
水には浄化作用があります。
お風呂に入ると悩んでいた事が 軽減していることがあります。
これは単に体がキレイに なっただけでなく、 それに伴い心も浄化された ことを意味しています。
また川の流れを見ていると癒されます。
これは水が次から次へと流れていくので、 心のエネルギーにも流動性が生まれ 活性化してくるからです。
逆に一つの事にこだわったり 悩んだりしていると、
心のエネルギーが停滞し、 淀んだ沼のようになってしまいます。
水の値は0
世の中の全ての事象は+と-に 分けられますが、
水の値は0と言えます。
+のエナジーが高まっている時に 水を飲めば0に戻してくれます。
イライラしている時や焦っている時に 水を飲むと落ち着くのはこのためです。
しかし0だけに汚れもします。
高次元のエネルギーを取り込み 浄化作用を生み出しもしますが、
汚染すれば汚染水にもなってしまいます。
どうするかは使う人次第なのです。
水は中性。
そういう位置にあります。
純粋な心
純粋な心を忘れたくありません。
例えば、映画を見ている時に 子供の頃なら無我夢中で 見れているのに、
大人になると 「製作費がいくら掛かっているのかな」 とか考えてしまうのです。
そんな事を考えながら見ても 楽しくありません。
純粋な心とは余計なことを 考えない事かもしれません。
ただただ神様からの命に従い 生きる。
これが意外に難しいのです。
良く澄んだ心と言いますが、 澄んだ心とは、 「ありのまま」ということです。
足しても引いてもいない、 そのままの心ということです。
なので世間的には生きにくいと 思います。
打算もなければ、 ずるさもない正直者ですから 騙されないように気をつけなければ なりません。
純粋な心の人ほど損をする・・・
残念ながら、 この世はそういう一面も持っています。
無色透明
人の心にはそれぞれ色があります。
いわゆるオーラというものですが、 高次元の神様たちにも色がある ようです。
おそらく虹色の七色かと思われますが、 さらにこれを超えた超高次元では 無色透明の光が輝いていると 推測されます。
水が超高次元の存在と言うわけでは ありませんが、
それを反映しているかにも見えます。
生きている人間で無色透明の心ということは 有り得ませんが、
できるだけ澄んだ水のような キレイば心を目指したいものです。
<参考:BEAUTY&ECOONE>
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