「地球最初の生命はRNAワールドから生まれた」
圧倒的人気を誇るこのシナリオには、
困った問題があります。
生命が存在しない原始の地球で
RNAの材料が正しくつながり
「完成品」となる確率は、
かぎりなくゼロに近いのです。
ならば、
生命はなぜできたのでしょうか?
この難題を「神の仕業」とせず合理的に考えるために、
著者が提唱するのが「生命起源」の
セカンド・オピニオン。
そのスリリングな解釈をわかりやすくまとめたのが、
アストロバイオロジーの第一人者として
知られる小林憲正氏の
『生命と非生命のあいだ』です。
本書刊行を記念して、その読みどころを、
数回にわたってご紹介しています。
一般に、天文学者や物理学者の多くは、
宇宙の広大さや、
地球がありふれた惑星であることから、
生命を宿す星は宇宙にいくらでもある、
つまり、
生命の誕生は宇宙での必然だと考えてきました。
一方、多くの生物学者は
「地球の生物を研究する学者」です。
地球には実に多種多様な生物が存在しており、
それぞれの生物がタンパク質や核酸といった
複雑な高分子有機物を多数使いこなして
生命活動を維持しているのを見て、
彼らは「こんな複雑なものはそう
簡単にできるはずがない」と考えてきました。
しかし、
天文学者の中にも変わり種がいます。
宇宙論者として知られる英国の
フレッド・ホイル(1915〜2001)も、その一人です。
ロシア生まれの物理学者ジョージ・ガモフ
(1904〜1968)らが1946年頃に
「宇宙は大きな爆発によって始まった」と
する説を提唱したとき、
ホイルは、
宇宙はつねに変化しない
定常状態にあるという「定常宇宙論」を唱え、
宇宙に「始まり」があったという
考えを否定しました。
宇宙が膨張していること自体は
ホイルも認めていましたが、
それは最初の爆発による膨張ではなく、
1年間に1km²あたり水素原子1個程度の
新たな物質が生成すれば、
膨張という観測事実は説明できるとしました。
そして、
宇宙が爆発によって始まったとする
ガモフの説に「ビッグバン」という名前を
つけて嘲笑したのです。
絵画でクロード・モネ(1840〜1926)の作品
『印象・日の出』が批評家に酷評されたときに、
モネらの作風が皮肉交じりに
「印象派」と呼ばれるようになったのと似ていますね。
しかしその後、
ビッグバン宇宙論を支持する証拠が次々と見つかり、
定常宇宙論を信じる人はほとんどいなくなりました。
ホイルはその後、
研究対象を「宇宙の生命」にまで拡張します。
彼は、地球のような限られた時間と空間の中では、
生命は誕生しえないと主張しました。
生命を維持するのに欠かせないタンパク質(酵素)は、
20種類のアミノ酸が多数、結合したものです。
どんなに単純な微生物でも2000種くらいの
タンパク質が必要で、
しかも、
それぞれのアミノ酸の配列には、
並び方を変更できない箇所もあります。
それらを考慮したうえで、
生命に必要なタンパク質が偶然にできる確率は、
10の4万乗分の1になると、
ホイルは試算しました。
これはいってみれば、
がらくた置き場の上を竜巻が通りすぎたあとに、
ボーイング747、
いわゆるジャンボジェットが組み上がっている
ようなものだとホイルは表現しました。
つまり、ホイルは天文学者でありながら、
生命が誕生することはきわめて困難であり、
地球上で生命が誕生することはありえない、
と考えていたのです。
では、他の惑星にも生命は存在しないと
考えていたのかといえばまったくの逆で、
「生命は宇宙に満ち満ちている」というのが
ホイルの「観測結果」でした。
恒星と恒星のあいだに存在する
星間分子を観測すると、
220nm(ナノメートル)の紫外線吸収が
みられるのですが、
ホイルによれば、
これはセルロースの吸収を示しているのであり、
星間に微生物が存在することの証拠だというのです。
そこからホイルは、
微生物は宇宙を旅していて、
地球をはじめ多くの惑星にたどりついて、
その星の生命のもとになっているという説を
主張しました。
これが、
以前の記事でもご紹介した
「パンスペルミア説」です。
ホイルが言うには、彗星が地球に近づくと、
彗星中のウイルスが地球にばらまかれて、
インフルエンザがはやるのだそうです(!)。
こうしたホイルの考えは、
やはり定常宇宙論にもとづいていました。
不変のまま悠久の時が流れる定常宇宙では、
生命が誕生するのは奇跡ではなく必然であるというのです。
「きわめて難しい」
ものがなぜ「ある」のか
近年、東京大学の戸谷友則(1971〜)は、
いわばホイル説の21世紀版を発表しました。
ホイルの時代と比べると、
生命の主人公はタンパク質から核酸に移り、
宇宙論はビッグバンをさらに進めた
「インフレーション宇宙論」に進化しました。
いまでは、
生命が誕生するには多数のヌクレオチド
(核酸を構成する単位)を結合させたリボ核酸、
いわゆるRNAが必要と考えられています。
そこから、
生命がRNAから始まったとする
「RNAワールド仮説」が唱えられているわけですが、
条件を満たすRNAをつくるには、
ヌクレオチドを少なくとも40個、
正しい順番でつなぐ必要があります。
戸谷によれば、
それが自然にできる確率を計算すると
地球だけではとうてい無理で、
10の40乗個ほどの恒星があれば、
なんとか偶然にそのような
RNAが1つできるそうです。
銀河系には2000億個ほどの恒星があり、
私たちが観測可能な宇宙
(私たちから138億光年の範囲)にある
銀河は2兆個ほどといわれていますので、
恒星の数は4000垓(がい・4×10の23乗)個ほど、
惑星も数秭(じょ・10の24乗)個ほど“しか”ありません。
とするとたしかに、
地球で生命が発生したのは
奇跡というしかありません。
ここで戸谷は、
インフレーション宇宙論ならではの
宇宙の広さを考えることを提案しました。
東京大学名誉教授の佐藤勝彦らが唱えた
インフレーション理論によると、
宇宙は138億年前に光よりも速く急激に膨張
(インフレーション)したとされます。
私たちには光が138億年かかる距離、
つまり138億光年先までしか
観測することができませんが、
インフレーション理論が正しければ、
その外側にも宇宙は広がっていることになります。
戸谷によると、
その大きさは私たちに観測可能な
宇宙の10の26乗倍以上、
体積では10の78乗倍以上と考えられ、
そこから計算すると、宇宙全体で、
10の100乗個の恒星が存在可能になります。
たしかに、
それなら生命が誕生する星は
ごろごろあることになります。
インフレーション理論が正しければ、
生命が誕生する星はごろごろあることになる
時を隔てた二人の天文学者が唱えた説の共通点は、
惑星上で生命が誕生するのはきわめて
難しいということです。
たしかに、
タンパク質や核酸がその構成分子を
正しくつながなくては生命にならないという呪縛は、
簡単には解けそうもありません。
しかし、
その一方ではいま、太陽系内、
さらには太陽系外までも、
生命探査の機運が急速に高まっていることもたしかです。
その原動力となっているのは、
惑星などで生命が誕生することは、
それほど難しくはないと考える
科学者が多数いるという事実でしょう。
このギャップを、
私たちはどう埋めればいいのでしょうか。
地球で生命が誕生したことは
奇跡なのか、必然なのか
まず生命とは何か、
生命はいかに誕生したかについて、
古代から今にいたる研究の流れを概観しています。
とりわけ近年、
地球外にもさまざまな有機物が
存在することがわかり、
そして、生命誕生のシナリオとして、
「RNAワールド」が注目されています。
しかし、RNAワールドをまじめに考えると、
どうしても「ホイル・戸谷問題」が浮上します。
本当にRNAは地球上で誕生できたのでしょうか。
それに代わりうるモデルとして、
「がらくたワールド」を提案しています。
この2つにかぎらず、
これまでにさまざまな生命の起源説が唱えられてきました。
では、それらのどれが正しいかを考えるには、
何をどのように調べていけばいいのでしょうか。
たちはだかる最大の障害は、
生命誕生の現場についての情報が、
現在の地球上にほとんど残されていないことです。
タイムマシンがあったならば、
一発で勝敗をつけられるのですが。
しかし、実はタイムマシンはあります。
それは「宇宙」というタイムマシンです。
生命の誕生、進化のさまざまなステップは、
この宇宙のどこかに現在進行形で
存在している可能性があります。
生命誕生のプロセスについては、
20世紀に現れた「化学進化」という概念が
主流になっています。
一方で、19世紀頃より「生物進化」の
議論が行われてきました。
実は化学進化には誤解されている点が多く、
正しい理解のためには進化の“先輩”といえる
生物進化をみることが参考になるでしょう。
そして最後に、
生命と非生命のあいだをどう
埋めればよいかを考えます。
両者はデジタル的に0と1に
区分できるのでしょうか。
それとも連続的につながっているのでしょうか。
連続的なものには「スペクトラム」という
言葉が使われることがありますが、
もしかしたら生命においても
「生命スペクトラム」という概念が成り立つのでしょうか。
地球で生命が誕生したことを奇跡と考えるか、
それとも必然と考えるかは、
人それぞれでしょう。本書がみなさんに、
この問題についてより深く、
より興味を持って考えていただけるための
材料を提供できていれば、
これ以上の喜びはありません。
地球生生命が誕生したのは、
奇跡なのか、必然なのか