(小谷太郎:大学教員・サイエンスライター)
2024年9月26日、
広島大学の片山郁夫教授と
海洋研究開発機構(JAMSTEC)の
赤松祐哉研究員が、
火星の地下に水が存在する
可能性があるという
研究結果を発表しました(※1)。
火星というと、
もしかしたら生命がいるのではないか、
いやそんな莫迦なことあるわけないだろ、
などと昔から果てしない議論が
続いている惑星です。
火星にはほとんど大気がなく、
地表はからっからに乾燥していることが
20世紀に明らかになると、
生命期待派の旗色は悪くなりました
(が、完全に黙ることはありませんでした)。
どうして火星は地球とちがって、
冷たく乾いた砂漠の惑星に
なってしまったのでしょうか。
最近、
これを調べるために送り込まれた探査機たちが、
驚くべき可能性を相次いで報告してきました。
火星の地下には太古の海が
眠っている可能性があるのです。
そうなると、
生命期待派の勢いも復活です。
最近の火星研究の進展を解説しましょう。
火星の太古の海
30億年以上の昔、
太陽も惑星もまだ若かったころ、
火星には濃い大気があり、大洋が広がり、
雨も降れば川も流れていたと考えられています。
その証拠に、火星の地表には、
いたるところに川の作った地形や
大洪水の跡が残されています。
どうしてみずみずしい世界だった火星が
現在からからに干からびてしまったのかというと、
それは大気が失われたせいだとされています。
現在の火星の大気は
地球の0.5%程度しかありません。
大気が失われると、温室効果もなくなり、
平均気温が-60℃程度にまで
下がってしまいました。
これでは水どころか二酸化炭素まで凍りつきます。
また気圧が低いと、
水という物質は液体の状態になれません。
火星の地表には、
氷(固体)か水蒸気(気体)の状態でしか
水が存在できないのです。
(ただし何らかの濃い水溶液なら、
凝固点降下という現象のため、
液体として存在できる場合があります。)
こうしたことが判明したのは20世紀のことです。
火星の失われた大気はおそらく宇宙空間へ
逃げていったのだろうというのが当時の推定でした。
火星の重力は弱いため、
大気分子(が分解して生じた原子)を保持できず、
大気は徐々に宇宙に逃げ散ったというシナリオです。
大気が薄くなれば海水は蒸発して水蒸気となり、
これまた大気分子と同様の運命をたどって
宇宙空間に失われるでしょう。
(なお、地球は火星よりも強い地磁気を持ち、
地磁気は高速粒子を跳ね返す
バリアーのような役割を果たすので、
これもあって地球の大気は消失をまぬがれた、
と説明されました。)
これが20世紀に考えられた、
現在の火星が酷寒の砂漠になった訳です。
うわっ、大気の流出量少なすぎ・・・?
火星の大気に何が起きたのかを調べる目的で、
火星周回機「MAVEN(メイヴェン)」が
2013年に打ち上げられました。
MAVENは
「Mars Atmospheric and Volatile EvolutioN」の略で、
直訳すると
「火星大気・揮発性物質変遷調査機」
というところでしょうか。
MAVENは今日も元気に火星を周回中です。
(ちなみに「MAVEN(メイヴェン)」のように、
英文の頭文字をつなげてひとつの
単語として発音する語を
「頭字語(acronym)」といい、
「USA」のように文字をひとつずつ発音する語は
「頭文字語(initialism)」といいます。
MAVENも後述のInSightも
ずいぶん凝った頭字語で、
おそらく言葉遊びの好きな中の人が
考えたのだろうと思わせます。)
MAVENは質量分析器や太陽風の分析装置を備え、
火星から宇宙空間へ流出する原子の量や、
太陽風による影響を測定することができます。
これで太陽からの高速粒子が火星大気を
ぶっ壊す様子がばっちり観察できるはず、
と期待されました。
ところが実際に測定してみたところ、
明らかになったのは、
火星から宇宙空間への大気や
水の流出量は意外に少ない
ということだったのです。
これは一体どうしたことでしょうか。
太陽風に大気分子を吹き飛ばす力がないとすると、
太古の火星に満ちていた水と濃い大気は、
一体どういう機構で消失したのでしょう。
火星着陸機インサイトの発見
火星の古代大気の謎は、
水素で説明できるという説があります。
古代火星の大気には水素が
多く含まれていたという説です。
水素原子は軽いので、
火星が若いうちにすみやかに宇宙空間へ逃げ去り、
現在はほとんど残っていないとすると、
MAVENの観測結果とつじつまが合います。
また水素の温室効果は大きいので、
水が液体として存在できた古代の
温暖気候も説明できます。
この仮説が正しいとすると、
大気の行方は説明がつきますが、
それでは海の水はどこへ行ったのでしょうか。
宇宙に散ったのでなければ地下に潜ったのでは、
というのが、
最近期待が高まっている説です。
かつて火星の地表を覆った莫大な水、
川となって山を押し流し、土砂で谷を埋め、
氾濫しては地形に傷跡を残した水は、
現在火星の地下に潜って眠っているという説です。
この説を支持する証拠が、
火星着陸機「インサイト(InSight)」の発見です。
InSightは2018年に打ち上げられて、
火星のエリシウム平原に着陸し、
2022年の運用終了までそこに座して、
火星の内部構造を調べました。
InSightは
「Interior Exploration using Seismic Investigations,
Geodesy and Heat Transport」の略で、
直訳すると
「地震計測・測地・熱流量測定地中探査機」
というところでしょうか。
本当によくこういうのを思いつくものです。
InSightは3台の計測装置を火星に持ち込みました。
今回取り上げる成果は、
地震や隕石落下による地面の振動を計測する
「SEIS(サイス)」によるものです。
他の観測装置は、
火星と地球の距離を誤差たった数cmで
超精密に測定する「RISE(ライズ)」と、
熱量を測定する「HP^3」です。
(HP^3のセンサー部は「もぐら」
と呼ばれる杭形の装置で、
これは火星の地面に穴を掘って
5 mの深さまで潜り込み、
温度変化などを測るというユニークな計画でした。
しかしどういうわけか
InSightの着陸地点の砂は
極度にサラサラしていて、
もぐらはうまく潜り込むことができませんでした。
HP^3のチームは、
なんとかもぐらを潜らせようと、
掘る位置を変えたり
InSightのアームで押し込んだり、
約2年にわたってあれこれ試しましたが、
結局もぐらは数cm以上掘り進めず、
もぐらの運用は断念されました。
探査機や観測装置が期待どおり
動かないことはしばしばあるのですが、
これほどやきもきさせられた装置は珍しいでしょう。)
InSightの地震計SEISは火星の
地震や隕石衝突の衝撃を記録し、
それによって火星の地下構造が調べられました。
地震波が地下を伝わる際、
地質によって地震波の速度などが変わります。
そしてInSightの発見は、
エリシウム平原の地下10 kmに、
地震波が速くなる層が存在するというものでした。
砂漠が美しいのは、海をかくしているからだよ
片山教授と赤松研究員は、
この層の正体を調べるため、
火星の地殻と似ているスウェーデンの
リダホルム産の斑れい岩を用いて
実験を行ないました(※2)。
岩石を熱して割れ目を入れたり
塩水につけたり冷やしたり、
さまざまな条件を作り出して、
その岩石を伝わる地震波速度、
つまり音速を測定しました。
するとInSightの観測結果に最もよく合うのは、
岩石の割れ目を液体の水が
満たした状態と判明しました。
この結果は、
エリシウム平原の地下10〜20 kmに、
塩水を含む岩石層が存在する
可能性を示しています。
もしも本当なら、
これは太古の海水を起源とすると考えられます。
海は蒸発したのでも宇宙空間に失われたのでもなく、
地下に潜っていたことになります。
火星のからからに乾いた砂漠は
その下に海を隠していたのです。
しかも片山教授らの結果によると、
この層は氷ではなく液体の水と考えられます。
30億年以上前、火星に海が存在した時代は、
地球の海に生命が発生した時期でもあります。
地球の生命を生んだ未知の機構が、
もしも火星の海でも働いていたならば、
原始的な生命が発生したかもしれません。
そしてさらに想像をたくましくすれば、
海が地下に潜る際、
生命も生存の場を地下に移して、
今でもほそぼそと暮らしていないともいえません。
生命期待派の復興です。
火星の地下海に火星プランクトンを探すべきでしょう。
InSightの測定結果を用いて、
地下の水の存在を指摘したのは、
片山教授らだけではありません。
片山教授らの発表に1カ月先立つ
2024年8月12日には、
カリフォルニア大サン・ディエゴ校の
ヴァシャン・ライト准教授らのグループが、
別の手法を用いて同様の結論を発表しています(※3)。
ライト准教授らの結果はCNNを始め
各種メディアで広く報道されたので、
そちらについてお読みになった方もおられるでしょう。
今回の片山教授らの結果は、
独立のアプローチを用いても、
InSightの結果から地下の海の
存在が結論されることを示すものです。
なお、ヴァシャン・ライト准教授らの論文
(※3)をよく見てみると、
この論文がPANS誌に投稿されたのは
2024年5月18日で、
その後査読などを経て受理され、
発表されたのが2024年8月12日です。
一方、片山教授らの論文(※2)が
Geology誌に投稿されたのは
2024年5月9日で、
実はこちらの方が先なのですが、
受理に時間がかかったため、
発表はライト准教授らの1カ月後となったものです。
投稿は先んじていたのに、
諸事情によって発表が遅れ、
報道されるのも2番目以降になったという、
少々不遇な状況のようです。
今回この研究を取り上げたのには 、
結果は優れているのにたまたまめぐり合わせの
悪かった発表をみなさんに紹介するという意図もあります。
研究というものは、
内容が優れているかどうかだけで
評価が決まるものではなく、
偶然を含むさまざまな要素に左右されるのです。
なお、さらに別の研究ですが、
ヨーロッパ宇宙機構の火星周回機
『マーズ・エクスプレス』の
チームは、
2018年に地中レーダーを用いて、
火星の地下に液体の水を発見したと発表しています。
これについてはJBpressに既報ですので、
御興味があらばそちらもどうぞ御覧ください。