「自分がやがて死ぬこと」と
どう向き合えばいいのか?
人気の禅僧が出した「一つの答え」
死。人はたいてい、
このよくわからないものから、
目を背けて生きている。
しかし、禅僧・藤田一照さんは、
朗らかに死との対面をうながす。
読めば勇気が湧いてくる、
死のレッスンの開講です。
生の輝きを回復する
チベット仏教には「死の瞑想」というのがあります。
「死は必ず訪れる」「だけど
、いつ来るかわからない」ということを
深く観相する瞑想です。
最初は言葉に出して繰り返し唱えるのですが、
だんだん言葉を超えて、
そのリアリティが「体感」されるようになる。
死の感覚が体にしみこんできたら、
言葉をやめて、その体感と一緒にいる。
これは、
死に「反照」された生を見つめるための修行です。
僕は、死の厳粛さを忘れてしまい、
いつまでも生がつづくような感覚でいることを
「生存ボケ」と呼びますが、
こうした瞑想や日々の死との向き合い方によって、
僕たちは死に照り返された生を見つめ、
生の輝きを回復することができる。
「死を思え」ということは、じつは「生を思え」ということなんで。
僕らの生は、
死に裏打ちされているからです。
物体は影があるから立体に見える。
同じように、死という影があるからこそ、
生に陰影と奥ゆきが生まれる。
「いまここで死ぬかもしれない」という感覚こそが、
現在の貴重さを教えてくれ、
生を輝かせてくれる。
べつの言葉で説明すれば、
タイムリミットがある生を生きているからこそ、
覚悟や気迫が生まれるということ。
私たちは、
死の自覚がないとなかなか「本気」になれません。
「本気」というのは、,
なんでもない言葉に思えて、
じつはとても重要だと思う。
このニュアンスを伝えるときに、
引き合いに出すのが「必死」です。
「必死で勉強する」と「本気で勉強する」のは
違うと思いませんか。
「必死に勉強する」は「大学に入るため」
のような目的があり、
いざ大学に入ったら勉強は終わる。
目の前にニンジンをぶら下げて
走るようなやり方です。
でも「本気の勉強」は終わらない。
やっていること自体に意味があるから。
いま自分が取り組んでいることの
尊さや輝きを取りこぼさないようにする。
「いま」をなにかのための
「通過地点」や「手段」にしてしまい、
その輝きを見逃してしまわないようにする
そういうことだと思います。
掃除をするときも料理をするときも本気です。
あるいは後悔なく死ねると思います。
本気の瞬間なら、
死んでも大丈夫な気がしませんか。
「愉快」という羅針盤
つけくわえると、
本気になる対象はなんでもいいわけではないと思う。
自分の「要求」にかなったものでないといけない。
「欲望」ではなくてね。
欲望はどこかでほかのだれかから
注入されたものです。
それに対して、
要求は自分の内側から湧いてくるものです。
要求はどうやって見つければいいですか。
聞かれると思いました。
でもそれを人に聞いてどうするんですか。
もし僕が答えたら、
それは「欲望」になる。
聞いてわかるようなことは
たいしたことじゃないんですよ。
職人さんの世界って、聞いたら怒られますよね。
「見て盗め」といわれる。
聞いてわかることは本質的じゃないんです。
でも、ヒントはありますよ。
先日、愛媛の松山で行われた
「日本死の臨床研究会」の年次大会で登壇し、
ノンフィクション作家の柳田邦男さんの
話を聞きましたが、
柳田さんが「残った人生で書きたいのは、
『死後生』についてだ」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
「死後生」というのは、
死んだ人が、残された人に影響を与えつづけ、
あたかもその人が生きているように
感じられることです。
自分が死んだあとも影響力を残したい、
みたいなかたちで死後生を目指したり、
あてにしたりするのはどうかと思いますが、
死後生との関係でいまをどう生きるかを
考えるのは大事です。
それはやってみないとわかりません。
僕がアメリカにいたとき、
しばしばアメリカ人から
「それをやったらどうなるか」と聞かれた。
試す前に結果を知ろうとするんです。
でも、それは自分でやってみないと
わからないでしょう。
そんなときは「僕はこうなったけど、
あなたと僕は違うから、こうなるとは限らないよ。
とにかくやってみなさい」と答えていました。
それはともかく、
僕の場合は生きることが愉快になりました。
本気でやっているから愉快なんです。
本気だから愉快。
愉快でやっているときは本気、ということです。
僕はこの「本気」や「愉快」を、
羅針盤のように使っています。
お料理で味見をしていると
「もう少し塩味が……」みたいなことがありますよね。
そんなふうに
「いま本気の方向に向かっているかな」
「いま愉快の方向に向かっているかな」と考える。
「愉快」とか「本気」を理想状態としては
描かないわけですね。
死という「嫌なもの」から逃げ、
それを直視するのを避けても、
人生はぼんやりするばかりです。
大事なのは、勇気を出してそれに触れ、
理解しようとすること。
それによって生は輝く。
勇気を出して、
死と向き合ってみてください。
<参考:>
1喧嘩はするな、
2意地悪はするな、
3過去をくよくよするな、
4先を見通して暮らせよ、
5困っている人を助けよ、
あなたなら出来ます応援しています
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