死の淵から回復した方の体験談 パート2


2019/5/13

死の淵から回復した方の体験談 パート2

 

死の淵から回復した方の体験談 パート2

 死の淵から回復した方の体験談 パート2
 
 
 
前回からのあらすじ
 
過労が身体を蝕み始めガンへの道を
 
そんな毎日が続き30代半ばを過ぎるといつからか
胃が歌むようになりました。
 
店が忙しいことがありがたい一方で、
自分自身の体を気遣う余裕が出来なくなってきていたのです。
 
きっといつもの胃もたれの延長だろうと病院に行くこともなく
胃薬でごまかしていました。
 
54歳の頃、腹部に激痛が襲うようになり、
子宮だろうと婦人科を受信すると血液検査には
「何も異常はない、筋腫だ」と言われ切除手術を受けました。
 
筋腫だったのかと一安心していた時、
一週間くらいしてから首の横に2センチくらいの
ボール球のようなものができているのに気が付いたのです。
 
ちょうどリンパの辺り、すぐに近くの病院に行くと
おそらく肝臓ガンだと言われ、心の整理もつかないままに、
大きな病院の紹介状を渡され、その病院に行くと
「余命1年、薬もありません、手術もできません」と
言われました。
 
余命1年。私の頭に浮かんだのは死という恐怖だけでした。
 
その日私は何をしても死への恐怖が頭から離れず、
テレビのお笑いも見ることができず、食事も入らず
私の免疫力は下がる一方でした。
 
「これではいけない、手術をしてくれる病院を探さなければ」
と思い、ようやく大学病院での手術、治験中の薬での
治療が出来るようになったのです。
 
私を支えて続けてくれていたそんな父も59歳の時、ガンで
亡くなり、母も脳梗塞をきっかけにずっと入院しています。
 
ガンになってもう一つ苦しかったことは自分が死に向かっていた時、
入院している母に会いに行けなくなったことです。
 
心配かけまいとガンのことは言いませんでした。
会いたくても、こんなに痩せてやつれている自分を見せたら
きっと母なら分かってしまう。
 
父をガンで亡くし、ガンの苦しさや若くして亡くなった父の
無念を目の前で見てきた母に「私ガンなの」とは言えませんでした。
 
ガンだったことは今でも母には話していません。
 
私の母は脳梗塞のせいで話すことが出来なきなってしまいましたが、
唯一話せる言葉があります.
 
それは「ありがとう」です。
 
その言葉だけはどういうわけか忘れてなかったのです。
長年商売をしてきたからかもしれません。
 
どんな話をしても返事はすべて「ありがとう」。
言葉を失ったとはいえ、この「ありがとう」のおかげで
病院でも人気者です。
 
相手を幸せにする言葉を残してくれた神様に感謝です。
そんな感謝を忘れない母を見ながら、私も素直に
「ありがとう」と言える人でありたいと思うのですが。
 
 
夢も希望も、一瞬にして破壊され生きる力を失ってしまう
ガン宣告のあり方
 
病気になった人はいろいろな不安や恐怖を抱えていると思います。
私も「ガンです」と宣告されただけで、生きる希望、気力をすべて失い、
毎日泣いて明け暮れて、自分自身で免疫力を下げてしまっていました。
 
「手術できません。薬もありません、余命一年です」そんなことを
お医者様に言われたら、誰であろうと希望を失うでしょう。
 
今までは、もし病気になった時はきちんと告知をして欲しいと
思っていましたが、実際に告知されると、とても一人では
受け止めきれないほどのショックでした。
 
お医者様の立場では「治ります」という言葉を言えないのは
分かっています。でも」、死を悟った患者が求めているのは、
少しでも希望を持てる言葉です。
 
だからせめて「治った人がいるのだから自分もきっと治ると
信じてください」と、そんな言葉をかけてくれたなら、
患者ももっと希望を捨てずに生きようと頑張れると
思うのです。
 
 
ビーワンとの出会い
 
 
私はそんな絶望のさなか、ビーワンに出会いました。
ビーワンを勧めてくれたその人は、私がガンだと聞いても
うろたえず、ただ「これを飲みなさい、きっと大丈夫だから」
と言ってくれました。
 
久しぶりに聞いた前向きな言葉「大丈夫」「私はまだ諦めなくていいのか、
まだ未来を夢見てもいいのか」と不安で押しつぶされそうな暗闇の中に
少しだけ光が差した瞬間でした。
 
そしてこの人を、ビーワンを信じてみようと思えました。
 
その日から「カルシストXを飲み、オールインローションを塗り、
トリニティーZを振りまき、頭皮洗浄をする」という、今まで病院で
受けていた治療とは全く異なる、「薬の力ではなく、自分自身の
免疫力を上げて自己免疫力でガンと闘っていくという私の
闘病生活がスタートしたのでした。
 
 
気づきから再出発、そして感謝へ
 
 
こんなことは、きっと治った今だから 言えることだと思いますが、
私は病気になってよかったと思っています、
 
健康な時には気づけなかった沢山のことに気づくことができたからです。
「生きていく上で、本当に必要なもの、と本当は必要でなかったもの」
「人を、自分を許し、もっと愛すること」それに気づき、
今苦しいのは病気になった自分だけではない。
家族も苦しいのだと思えるようになってからは、
少しだけ気持ちが楽になり、今まで私に関わってくれた
すべての人たちがいてくれたからこそ、
 
今こうして私は生きている、生かされていたんだと、
一日一日を感謝しながら大切に過ごすようになりました。
 
「ガン」という残酷な形で試練を与えた神様は、
代わりにとてもシンプルな生き方を私に教えてくれました。
 
生きてさえいれば、大切な人達に愛を伝えることができるのです。
 
以前、再発や転移を恐れていたことがありますが、
今は4つの事をしっかりやって治せると信じております。
 
ガンとになっても怖くないです。
 
自分の命の最後を迎えるまでビーワンと共に、
自分らしく生きていけたらと思っています。
 
 
ビーワンに出会えて感謝です。
 
そして、私と出会ってくれた皆様に感謝です。
 
そして、家族に感謝です。
 
 
近年いろんなものが便利になる一方で、
元の人間らしい暮らしがなくなり、
 
食べ物は添加物、化学物質が増え、
人との交流までも簡易化されてきているように思います。
 
昨年の夏30年続けた店を閉め、
今年の5月からビーワンサロンを開店しました。
 
今まではレストランとビーワンという二足のわらじで
行ってきましたが、これからはビーワン一本に集中し、
1から勉強し直すつもりです。
 
5年前、伝えられる側だったビーワンをこれからは
私が伝える側になります。
 
自分がそうだったように一度伝えただけでは心に響かない方も
いるでしょう。
 
ですが諦めず、何度も伝え続け、少しででも地球のために、
ビーワンを広めていけたらと思っています。
 
WooDY LIFE   辻朋子
 
 
 
 
 
 
 
1喧嘩はするな、
2意地悪はするな、
3過去をくよくよするな、
4先を見通して暮らせよ、
5困っている人を助けよ、

 

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RupanサロンデイレクターNao
 
http://rupan.p-kit.com

 




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